冬の丹沢(一日目)
2月10~11日にかけて丹沢を縦走することにしました。
そして今回はまだ行ったことのない丹沢の最深部に位置する「蛭が岳」を含めて縦走することにしました。
今回は登る地点と下山する地点と同じにしたくなかったため、マイカーではなく電車とバスの乗り継ぎで行くこととします。
また、丹沢の登り口に関しては「西丹沢ビジターセンター」からとするため、まずは小田急線の新松田駅まで行き、そこからバスに乗り換えることにしました。
ただし、電車の関係で新松田発の始発のバスには間に合わず、新松田駅8時25分発、西丹沢ビジターセンター9時36分着の始発から1時間遅れのバスに乗ることに。
今回は無理のないように山小屋で一泊することとし、宿泊先は蛭が岳のすぐ側にある「蛭が岳山荘」としました。
そしてこの段階では行程的にも時間的にも何の問題もなく蛭が岳まで行けると思っていました。
その日は朝早く起き、電車に乗り込み、予定通り新松田駅に8時前に到着します。
そして予定通り8時25分発のバスに乗り、9時40分ごろ西丹沢ビジターセンターに到着。
これは乗ってきたバス。
ここまでかなり狭い道を通ってきており、運転手さんはかなり苦労したことと思います。
そこで準備をした後、10時前には登山開始となりました。
最初はキャンプ場の横の道路に沿って進み、途中右に曲がって「つつじ新道」を通って檜洞丸方面へと駒を進めます。
最初は全くと言っていいほど雪はありませんでしたが、登山道に入ってからはだんだんと雪が多くなり、早々にチェーンスパイクを履きます。
ですが、檜洞丸までは特に問題もなくほぼコースタイム通りに着くことができました。
このように最初は雪がなかったものの。
だんだんと雪が深くなってきます。
そして樹氷が目立つようになった頃には。
檜洞丸の頂上に着きました。
時間にして12時半頃でしたので登山を開始してから約2時間半といったところでしょうか。
ここで昼食をとった後は本命である蛭が岳を目指します。
実は蛭が岳は檜洞丸からも確認出来るのですが、ここからは4.6キロと比較的長い行程をたどることになります。
しかもここから雪がぐんと深くなり、今までのような登山道の位置を示すトレースも少なくなってきます。
特にここ。青が岳山荘を過ぎてからはほとんどトレースがなくなり、歩くたびに足が雪にとらわれます。
積雪にして約1mはあろうかと思われますが、ほとんど溶けることなく残っています。
一歩、歩くごとに数十センチは足が雪の中に埋まってします。
やはり先週の低気圧で様相が一変しているようでした。
まわりに登山者の姿も確認出来ません。
しかしながらわずかに残っているトレースを頼りに恐る恐る進んでいきます。
これは木の陰から見える蛭が岳です。
この勇姿を見せつけられると行かずにはいられないでしょう。
存在感はやはりありますね。さすが丹沢の最高峰です。
1歩、1歩が非常に重たい状況が続きますが、何とか進むことにします。
そしてしばらく進むと先の方に若い女性が確認できました。
私と同様、かなり四苦八苦していましたが、とりあえず先に行かせてもらうことに。
というのも私が先に行くことによって、私がトレースをつけることにもなり、あとの方が楽に登れることを期待した上での選択です。
もう少しです。
最後の急登は鎖場の連続となっていましたが、雪でその鎖場も埋もれている箇所も多くありました。
鎖が見当たらない場所は四つん這いになって這って進みます。
もう少し。
あと0.5キロの看板がありましたが、ここからも長い長い。
実際、この看板からゆうに1時間以上はかかったと思います。
でも後ろを振り返ると、今まで通ってきた稜線がはっきりと確認できました。
先程登った檜洞丸も確認出来ます。
そしてこのコース、実は上級者向けと指定されているようです。
樹氷もこの通り。
やっとのことで蛭が岳山頂に到着しますが、念願の富士山は拝むことはできず。
ですが記念に写真を撮ってもらいました。
そして今日、泊まる予定の蛭が岳山荘。
時間にして16時40分。
予定よりも大幅に遅れて到着することになりました。
おそらくコースタイムより時間がかなりオーバーしているかと思います。
小屋に到着すると小屋の人から、「今日は3名ほど西丹沢の方から来る予定となっていますがあなたはその一番目です」といわれました。
もしかすると途中で抜いた若い女性の方が3名のうちの一人だと思ったので「途中で抜いた方がいたので後で一人はあとから来ますよ」と伝えました。
小屋では水が凍っているため断水状態でした。
しかしながら水は500ml、500円で売っていますがこれはビールと同じ値段です。
ここでは水はかなり貴重となるため、極力節約しなければなりません。
職業柄、小屋の構造にも興味がありましたが・・・。
昔ながらの1本まるごとの木が梁になっています。
ビールを飲みながら休んでいると30分ほどで先程、途中で会った若い女性の方も到着しお互い労をねぎらいます。
趣味が登山とマラソンというだけあってか体力的には全然問題なかったようですが・・・。
また、この日は他に30名近くが宿泊することになっていましたが、その方々は西丹沢以外の比較的登山道が踏み固められたコースをとっており特に問題はなかったようです。
こうなると問題は西丹沢から来ている3名の内、もう1人の存在です。
17時半の食事の時間になっても連絡がない状況なので小屋の人もかなり心配になっているようでした。
先程通った「青が岳山荘」に問い合わせるも音沙汰がありません。
もしかすると途中で引き返して檜洞丸近くの「青が岳山荘」に引き返したという可能性もあったからです。
また、本人の携帯に直接連絡するも電波が悪いのか反応無し。
実は今日、西丹沢から蛭が岳へと向かった登山者は私を含めて3名しかいないということですが、その内の2名は私よりも1時間早い始発バスで新松田駅を出発しているとのことでした。(新松田駅7時25分発で西丹沢ビジターセンター8時36分着ということになります)
よって、若い女性の方ともう一人の行方不明の方は私よりも1時間早く西丹沢を出発していることになります。
だとすると、若い女性以外のもう一人の行方不明の方についても私は一度、途中で抜いたことになりますが記憶をたどっても心当たりはありませんでした。
そしてあとから私がカメラで撮った写真を見直して分かったのですが、檜洞丸の頂上でそのもう一人の方が写真に写っていました。
(先程の檜洞丸頂上の写真の中で黄色のジャケットを着ている方がそうです)
だとすると13時前には檜洞丸までは来ていたことになります。
なるほど、お互い頂上で昼食等で休んでいたため、抜き去ったことなど分かりっこない状況だったようです。
また、その行方不明となった方は、これもあとから聞いた話ですが71才というやや高齢の方。
さすがにこの雪深い過酷な条件のもと、いくらトレースをたどれたとしても体力的にかなりつらいものがあったと思われます。
その日の夕食はカレー。
そこで、宿泊者との交流もありましたが、これは山小屋泊の特権です。
実際、凄い経験をされている方もいらっしゃいますので今後の参考とさせていただきます。
また、これは小屋から撮影した夜景です。
こんな景色がみられるのも山ならではですね。
そして19時半ごろ、その行方不明者と思われる方から小屋に一本の電話が。
現在、蛭が岳まであと0.5キロの看板までたどり着いたとのこと。
小屋の人たち(全部で3名)それを聞いて総出で捜索へと向かいます。
私を含めて宿泊者も全員、気が気でなりませんでした。
小屋の人たちが捜索で出て行ったあと、30分ほどでその人をようやく見つけたという朗報が入ってきました。
やはり体力の限界で思うように進むことができなかったようですが、幸い怪我はしていないとのこと。
暗い中、ヘッドランプを頼りに進んでいたところを小屋の人に無事、見つけられたようです。
見つかった直後は安心してその場にへたり込んだといっていましたが・・・。
なんとか20時半ころ小屋に到着し、宿泊者全員に拍手で迎えられることに。
消灯は20時でしたが今回はそう言ってられない状況でした。
また、あとから聞いた話ですが、その方は高齢とはいえ去年、富士山の頂上にも登られたとか・・・。
まあ、今の時期、こういった場所に来る人はただものではない人が多いなという感じがします。
こうして無事、事なきを得てほっとしたわけですが、明日は今日とは打って変わってきれいな富士山を拝むことができました。
この続きに関しては次のブログで紹介させていただきます。
最後に今日一日のYAMAPで記録した登山履歴とGOPROによる編集動画をのせて終わりにしたいと思います。
YAMAPで記録した登山履歴
https://youtube.com/shorts/G5YTzBbRUB0
GOPROで編集した動画
https://youtu.be/nWkCsTLJBgw
そして今回はまだ行ったことのない丹沢の最深部に位置する「蛭が岳」を含めて縦走することにしました。
今回は登る地点と下山する地点と同じにしたくなかったため、マイカーではなく電車とバスの乗り継ぎで行くこととします。
また、丹沢の登り口に関しては「西丹沢ビジターセンター」からとするため、まずは小田急線の新松田駅まで行き、そこからバスに乗り換えることにしました。
ただし、電車の関係で新松田発の始発のバスには間に合わず、新松田駅8時25分発、西丹沢ビジターセンター9時36分着の始発から1時間遅れのバスに乗ることに。
今回は無理のないように山小屋で一泊することとし、宿泊先は蛭が岳のすぐ側にある「蛭が岳山荘」としました。
そしてこの段階では行程的にも時間的にも何の問題もなく蛭が岳まで行けると思っていました。
その日は朝早く起き、電車に乗り込み、予定通り新松田駅に8時前に到着します。
そして予定通り8時25分発のバスに乗り、9時40分ごろ西丹沢ビジターセンターに到着。
これは乗ってきたバス。
ここまでかなり狭い道を通ってきており、運転手さんはかなり苦労したことと思います。
そこで準備をした後、10時前には登山開始となりました。
最初はキャンプ場の横の道路に沿って進み、途中右に曲がって「つつじ新道」を通って檜洞丸方面へと駒を進めます。
最初は全くと言っていいほど雪はありませんでしたが、登山道に入ってからはだんだんと雪が多くなり、早々にチェーンスパイクを履きます。
ですが、檜洞丸までは特に問題もなくほぼコースタイム通りに着くことができました。
このように最初は雪がなかったものの。
だんだんと雪が深くなってきます。
そして樹氷が目立つようになった頃には。
檜洞丸の頂上に着きました。
時間にして12時半頃でしたので登山を開始してから約2時間半といったところでしょうか。
ここで昼食をとった後は本命である蛭が岳を目指します。
実は蛭が岳は檜洞丸からも確認出来るのですが、ここからは4.6キロと比較的長い行程をたどることになります。
しかもここから雪がぐんと深くなり、今までのような登山道の位置を示すトレースも少なくなってきます。
特にここ。青が岳山荘を過ぎてからはほとんどトレースがなくなり、歩くたびに足が雪にとらわれます。
積雪にして約1mはあろうかと思われますが、ほとんど溶けることなく残っています。
一歩、歩くごとに数十センチは足が雪の中に埋まってします。
やはり先週の低気圧で様相が一変しているようでした。
まわりに登山者の姿も確認出来ません。
しかしながらわずかに残っているトレースを頼りに恐る恐る進んでいきます。
これは木の陰から見える蛭が岳です。
この勇姿を見せつけられると行かずにはいられないでしょう。
存在感はやはりありますね。さすが丹沢の最高峰です。
1歩、1歩が非常に重たい状況が続きますが、何とか進むことにします。
そしてしばらく進むと先の方に若い女性が確認できました。
私と同様、かなり四苦八苦していましたが、とりあえず先に行かせてもらうことに。
というのも私が先に行くことによって、私がトレースをつけることにもなり、あとの方が楽に登れることを期待した上での選択です。
もう少しです。
最後の急登は鎖場の連続となっていましたが、雪でその鎖場も埋もれている箇所も多くありました。
鎖が見当たらない場所は四つん這いになって這って進みます。
もう少し。
あと0.5キロの看板がありましたが、ここからも長い長い。
実際、この看板からゆうに1時間以上はかかったと思います。
でも後ろを振り返ると、今まで通ってきた稜線がはっきりと確認できました。
先程登った檜洞丸も確認出来ます。
そしてこのコース、実は上級者向けと指定されているようです。
樹氷もこの通り。
やっとのことで蛭が岳山頂に到着しますが、念願の富士山は拝むことはできず。
ですが記念に写真を撮ってもらいました。
そして今日、泊まる予定の蛭が岳山荘。
時間にして16時40分。
予定よりも大幅に遅れて到着することになりました。
おそらくコースタイムより時間がかなりオーバーしているかと思います。
小屋に到着すると小屋の人から、「今日は3名ほど西丹沢の方から来る予定となっていますがあなたはその一番目です」といわれました。
もしかすると途中で抜いた若い女性の方が3名のうちの一人だと思ったので「途中で抜いた方がいたので後で一人はあとから来ますよ」と伝えました。
小屋では水が凍っているため断水状態でした。
しかしながら水は500ml、500円で売っていますがこれはビールと同じ値段です。
ここでは水はかなり貴重となるため、極力節約しなければなりません。
職業柄、小屋の構造にも興味がありましたが・・・。
昔ながらの1本まるごとの木が梁になっています。
ビールを飲みながら休んでいると30分ほどで先程、途中で会った若い女性の方も到着しお互い労をねぎらいます。
趣味が登山とマラソンというだけあってか体力的には全然問題なかったようですが・・・。
また、この日は他に30名近くが宿泊することになっていましたが、その方々は西丹沢以外の比較的登山道が踏み固められたコースをとっており特に問題はなかったようです。
こうなると問題は西丹沢から来ている3名の内、もう1人の存在です。
17時半の食事の時間になっても連絡がない状況なので小屋の人もかなり心配になっているようでした。
先程通った「青が岳山荘」に問い合わせるも音沙汰がありません。
もしかすると途中で引き返して檜洞丸近くの「青が岳山荘」に引き返したという可能性もあったからです。
また、本人の携帯に直接連絡するも電波が悪いのか反応無し。
実は今日、西丹沢から蛭が岳へと向かった登山者は私を含めて3名しかいないということですが、その内の2名は私よりも1時間早い始発バスで新松田駅を出発しているとのことでした。(新松田駅7時25分発で西丹沢ビジターセンター8時36分着ということになります)
よって、若い女性の方ともう一人の行方不明の方は私よりも1時間早く西丹沢を出発していることになります。
だとすると、若い女性以外のもう一人の行方不明の方についても私は一度、途中で抜いたことになりますが記憶をたどっても心当たりはありませんでした。
そしてあとから私がカメラで撮った写真を見直して分かったのですが、檜洞丸の頂上でそのもう一人の方が写真に写っていました。
(先程の檜洞丸頂上の写真の中で黄色のジャケットを着ている方がそうです)
だとすると13時前には檜洞丸までは来ていたことになります。
なるほど、お互い頂上で昼食等で休んでいたため、抜き去ったことなど分かりっこない状況だったようです。
また、その行方不明となった方は、これもあとから聞いた話ですが71才というやや高齢の方。
さすがにこの雪深い過酷な条件のもと、いくらトレースをたどれたとしても体力的にかなりつらいものがあったと思われます。
その日の夕食はカレー。
そこで、宿泊者との交流もありましたが、これは山小屋泊の特権です。
実際、凄い経験をされている方もいらっしゃいますので今後の参考とさせていただきます。
また、これは小屋から撮影した夜景です。
こんな景色がみられるのも山ならではですね。
そして19時半ごろ、その行方不明者と思われる方から小屋に一本の電話が。
現在、蛭が岳まであと0.5キロの看板までたどり着いたとのこと。
小屋の人たち(全部で3名)それを聞いて総出で捜索へと向かいます。
私を含めて宿泊者も全員、気が気でなりませんでした。
小屋の人たちが捜索で出て行ったあと、30分ほどでその人をようやく見つけたという朗報が入ってきました。
やはり体力の限界で思うように進むことができなかったようですが、幸い怪我はしていないとのこと。
暗い中、ヘッドランプを頼りに進んでいたところを小屋の人に無事、見つけられたようです。
見つかった直後は安心してその場にへたり込んだといっていましたが・・・。
なんとか20時半ころ小屋に到着し、宿泊者全員に拍手で迎えられることに。
消灯は20時でしたが今回はそう言ってられない状況でした。
また、あとから聞いた話ですが、その方は高齢とはいえ去年、富士山の頂上にも登られたとか・・・。
まあ、今の時期、こういった場所に来る人はただものではない人が多いなという感じがします。
こうして無事、事なきを得てほっとしたわけですが、明日は今日とは打って変わってきれいな富士山を拝むことができました。
この続きに関しては次のブログで紹介させていただきます。
最後に今日一日のYAMAPで記録した登山履歴とGOPROによる編集動画をのせて終わりにしたいと思います。
YAMAPで記録した登山履歴
https://youtube.com/shorts/G5YTzBbRUB0
GOPROで編集した動画
https://youtu.be/nWkCsTLJBgw
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