槍ヶ岳(その1)
9月18日(土)から9月21日(月)にかけて北アルプスの槍ヶ岳に行きました。
実は8月のお盆休みに計画していたものの、梅雨前線に阻まれやむなくこの日にリベンジとなったわけです。
ちょうど台風一過で天候は申し分なかったものの、ここ20数年ぶりの群発地震に見舞われやはり私が行く日は何かしらイベントが重なるようです。
とはいうものの、結果的には登山を続行し頂上を踏むことができたわけですから実に忘れられない経験となることができました。
また、ニュースや新聞でも取り上げられましたが、実際山で何が起こっていたのかを詳細にブログに書き記すことによって、今後の参考になればいいかと思っております。
さて、18日の夜、車で自宅を出発し、「沢渡駐車場」に12時過ぎに到着。
実はこの駐車場、料金が日にち管理なので夜中の12時前だと12時を過ぎるまで待っていた方が得なのです。
そこで仮眠をとった後、翌朝乗り合いバスで上高地まで行きます。
真っ先に目に飛び込んでくるのは「河童橋」です。
後ろをふりかえれば前に登った「焼岳」がはっきり確認できました。
「河童橋」からは「明神橋」まで約1時間。
「明神橋」では「明神岳」が目の当たりに見えますが明神岳までの一般の登山道はないみたいです。
近くの「穂高神社」で登山の安全祈願を行います。
最初はトレッキングコースをたどりますので高低差の少ない平和な山歩きとなります。
まだ槍の方は全く姿を見せません。
「明神橋」からは休憩場となる「徳沢園」を経て「横尾」と呼ばれる登山のいわゆるターミナル駅に着きます。
横尾に到着。
ここは距離的に槍ヶ岳までの中間点になります。
ここからは「横尾大橋」をわたれば穂高方面へ、まっすぐ行けば槍ヶ岳方面へとわかれる分岐点であり、トレッキングコースの最終地にもなっている地点でもあります。
逆にここからは十分な登山の装備がないと難しいといったところでしょうか。
今回は橋をわたることなく真っすぐ槍ヶ岳方面へと向かいます。
やはりここからは未開の地となるので緊張感が増してきます。
しばらく川に沿って登りますが途中の「槍見河原」からは槍ヶ岳の頂上が少しだけ見えます。
まあ、あとから嫌というほど槍の雄姿を堪能できるとはいえ最初に見えた時は少し感動します。
富士山のように、最初から頂上が見えるのも味気ない気がします。
これは水力発電ですがこれで山荘まで電気を届けているみたいです。
そこからほどなくして最初に泊まる山荘である「槍沢ロッジ」に到着します。
正直、ここまでは急な坂道はなく、上高地から標高にして300m位登っただけなのである意味拍子抜けを感じてしまいました。
外にある備え付けの望遠鏡からはこれから登ろうとする槍の穂先が見えました。
次の日は標高差1500mを一気に登らなければならないため、ここからは気合を入れなくてはなりません。
槍沢ロッジには山荘には珍しくお風呂が付いているのでまずはお風呂で汗を流すことにします。
また、今の時期、山小屋の宿泊人数を制限しており、普段の繁忙期のような密になることはありません。もちろん1人1枚のふとんを余裕で使用することができます。
そして夕食を5時頃食べて、食べ終わった5時25分ごろ事が起こりました。
震度4の穂高岳を震源とする直下型地震がなんの前触れもなく起こったのです。
まわりの人は皆さん驚きを隠せず、中にはテーブルの下に潜り込んだ人までいました。
しかも地震は1度きりではなく、そのあと数分のインターバルを経て実に20~30回もの比較的大きな群発地震に見舞われることに。
ここに泊まるほとんどの登山客は次の日に山頂近くの槍ヶ岳山荘に向かう方なので皆さん不安を感じていました。
地震で槍の穂先が折れたらどうしようかと冗談を言う人もいましたが、冗談では済まない可能性もあります。
また、ほとんどの宿泊者は自分も含めて余震に起こされ寝不足になっていただろうと思います。
(何十分に1回は絶えることなく余震が続いていました)
山荘からのアナウンスでは、明日は無理に登らないようにということともし、槍岳山荘を予約している人でキャンセルしようと思う人はこちらから言っておきますとのこと。
そしてこのような群発地震が起こったのは実に20数年ぶりとのこと。
ただし地震の後、頂上までのルートに目立った損傷は見られず、頂上の祠が少しずれたのを確認できたくらいだということも言っていました。
地震のあとに確認を行った人も大変だったと思いますが・・・。
そして、半分以上の宿泊者は次の日にそのまま下山し、残りの半分の方も登る途中で下山者の助言を聞いてやむなく下山といった感じなのでおそらく最終的には全体の1/4程度しか上まで行っていないようでした。
私としては、まずは行けるところまで行こうと決め、最悪「槍ヶ岳山荘」までいければよいと思っていたところです。
槍ヶ岳に行って穂先の先だけしか堪能できないことは考えづらかったこともあります。
ただし救助のためあるいは捜索のためか、かなりの数のヘリコプターが頂上付近を飛び回っており尋常ではない感じがしました。
途中、キャンプ地である「ババ平」を通過してからは急登が続き、特に「殺生ヒュッテ」から「槍ヶ岳山荘」までが体力的に最も辛い登となります。
ババ平キャンプ場。
ここからはあと5キロとあります。
土砂崩れの様子。
ナナカマドがきれいに紅葉しています。
そうこうしているうちに槍がだんだんはっきりと見えてきました。
この光景はここまで来ないとみることができません。
視界的には申し分ありません。
「殺生ヒュッテ」にたどり着きますが、最初は槍ヶ岳にはここの山荘しかなかったそうです。
やっとの思いで「槍岳山荘」までたどり着くとちょうどお昼の時間となっていたため休憩がてら山荘で手配していただいたお弁当を食べることにしました。
山荘でいただいたお弁当。
下に見えるは殺生ヒュッテ。
そして山荘に泊まる手続きをしたあと、身を軽くしていざ、槍の穂先を目指すこととします。
実は山荘に着いたときに真っ先に受付で恐る恐る「山頂までは登れますか?」と聞いたところ意外にも「皆さん登られていますよ。」という返事が返ってきましたので少なくとも登山規制はされていないということがわかって一安心といったところでしょうか。
まあ何が起こっても自己責任といった感じでしょうけど。
ここから山頂までは200m、時間にして約30分ということでここが槍ヶ岳登山の一番の醍醐味でもありますが、この続きは「その2」の方で紹介させていただきます。
実は8月のお盆休みに計画していたものの、梅雨前線に阻まれやむなくこの日にリベンジとなったわけです。
ちょうど台風一過で天候は申し分なかったものの、ここ20数年ぶりの群発地震に見舞われやはり私が行く日は何かしらイベントが重なるようです。
とはいうものの、結果的には登山を続行し頂上を踏むことができたわけですから実に忘れられない経験となることができました。
また、ニュースや新聞でも取り上げられましたが、実際山で何が起こっていたのかを詳細にブログに書き記すことによって、今後の参考になればいいかと思っております。
さて、18日の夜、車で自宅を出発し、「沢渡駐車場」に12時過ぎに到着。
実はこの駐車場、料金が日にち管理なので夜中の12時前だと12時を過ぎるまで待っていた方が得なのです。
そこで仮眠をとった後、翌朝乗り合いバスで上高地まで行きます。
真っ先に目に飛び込んでくるのは「河童橋」です。
後ろをふりかえれば前に登った「焼岳」がはっきり確認できました。
「河童橋」からは「明神橋」まで約1時間。
「明神橋」では「明神岳」が目の当たりに見えますが明神岳までの一般の登山道はないみたいです。
近くの「穂高神社」で登山の安全祈願を行います。
最初はトレッキングコースをたどりますので高低差の少ない平和な山歩きとなります。
まだ槍の方は全く姿を見せません。
「明神橋」からは休憩場となる「徳沢園」を経て「横尾」と呼ばれる登山のいわゆるターミナル駅に着きます。
横尾に到着。
ここは距離的に槍ヶ岳までの中間点になります。
ここからは「横尾大橋」をわたれば穂高方面へ、まっすぐ行けば槍ヶ岳方面へとわかれる分岐点であり、トレッキングコースの最終地にもなっている地点でもあります。
逆にここからは十分な登山の装備がないと難しいといったところでしょうか。
今回は橋をわたることなく真っすぐ槍ヶ岳方面へと向かいます。
やはりここからは未開の地となるので緊張感が増してきます。
しばらく川に沿って登りますが途中の「槍見河原」からは槍ヶ岳の頂上が少しだけ見えます。
まあ、あとから嫌というほど槍の雄姿を堪能できるとはいえ最初に見えた時は少し感動します。
富士山のように、最初から頂上が見えるのも味気ない気がします。
これは水力発電ですがこれで山荘まで電気を届けているみたいです。
そこからほどなくして最初に泊まる山荘である「槍沢ロッジ」に到着します。
正直、ここまでは急な坂道はなく、上高地から標高にして300m位登っただけなのである意味拍子抜けを感じてしまいました。
外にある備え付けの望遠鏡からはこれから登ろうとする槍の穂先が見えました。
次の日は標高差1500mを一気に登らなければならないため、ここからは気合を入れなくてはなりません。
槍沢ロッジには山荘には珍しくお風呂が付いているのでまずはお風呂で汗を流すことにします。
また、今の時期、山小屋の宿泊人数を制限しており、普段の繁忙期のような密になることはありません。もちろん1人1枚のふとんを余裕で使用することができます。
そして夕食を5時頃食べて、食べ終わった5時25分ごろ事が起こりました。
震度4の穂高岳を震源とする直下型地震がなんの前触れもなく起こったのです。
まわりの人は皆さん驚きを隠せず、中にはテーブルの下に潜り込んだ人までいました。
しかも地震は1度きりではなく、そのあと数分のインターバルを経て実に20~30回もの比較的大きな群発地震に見舞われることに。
ここに泊まるほとんどの登山客は次の日に山頂近くの槍ヶ岳山荘に向かう方なので皆さん不安を感じていました。
地震で槍の穂先が折れたらどうしようかと冗談を言う人もいましたが、冗談では済まない可能性もあります。
また、ほとんどの宿泊者は自分も含めて余震に起こされ寝不足になっていただろうと思います。
(何十分に1回は絶えることなく余震が続いていました)
山荘からのアナウンスでは、明日は無理に登らないようにということともし、槍岳山荘を予約している人でキャンセルしようと思う人はこちらから言っておきますとのこと。
そしてこのような群発地震が起こったのは実に20数年ぶりとのこと。
ただし地震の後、頂上までのルートに目立った損傷は見られず、頂上の祠が少しずれたのを確認できたくらいだということも言っていました。
地震のあとに確認を行った人も大変だったと思いますが・・・。
そして、半分以上の宿泊者は次の日にそのまま下山し、残りの半分の方も登る途中で下山者の助言を聞いてやむなく下山といった感じなのでおそらく最終的には全体の1/4程度しか上まで行っていないようでした。
私としては、まずは行けるところまで行こうと決め、最悪「槍ヶ岳山荘」までいければよいと思っていたところです。
槍ヶ岳に行って穂先の先だけしか堪能できないことは考えづらかったこともあります。
ただし救助のためあるいは捜索のためか、かなりの数のヘリコプターが頂上付近を飛び回っており尋常ではない感じがしました。
途中、キャンプ地である「ババ平」を通過してからは急登が続き、特に「殺生ヒュッテ」から「槍ヶ岳山荘」までが体力的に最も辛い登となります。
ババ平キャンプ場。
ここからはあと5キロとあります。
土砂崩れの様子。
ナナカマドがきれいに紅葉しています。
そうこうしているうちに槍がだんだんはっきりと見えてきました。
この光景はここまで来ないとみることができません。
視界的には申し分ありません。
「殺生ヒュッテ」にたどり着きますが、最初は槍ヶ岳にはここの山荘しかなかったそうです。
やっとの思いで「槍岳山荘」までたどり着くとちょうどお昼の時間となっていたため休憩がてら山荘で手配していただいたお弁当を食べることにしました。
山荘でいただいたお弁当。
下に見えるは殺生ヒュッテ。
そして山荘に泊まる手続きをしたあと、身を軽くしていざ、槍の穂先を目指すこととします。
実は山荘に着いたときに真っ先に受付で恐る恐る「山頂までは登れますか?」と聞いたところ意外にも「皆さん登られていますよ。」という返事が返ってきましたので少なくとも登山規制はされていないということがわかって一安心といったところでしょうか。
まあ何が起こっても自己責任といった感じでしょうけど。
ここから山頂までは200m、時間にして約30分ということでここが槍ヶ岳登山の一番の醍醐味でもありますが、この続きは「その2」の方で紹介させていただきます。
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