奥穂高岳(その1)
8月のお盆休みを利用して北アルプスの「穂高岳」に行ってきました。
やはり穂高は登山者のメッカと呼ばれることもあって、また漫画「岳」の舞台でもあるので
一度は足を向けてみたいとかねてから思っていました。
実際、まとまった休みがとれるのはこの時しかないかもしれません。
「穂高岳」は初めてなので、「涸沢」に連泊して「奥穂高岳」を目指すこととしました。
「北穂高」や「前穂高」、「西穂高」については上級者向けということなので今回はパスすることにします。
といっても「奥穂高岳」は標高3190mもあり、日本で富士山、北岳についで3番目に高い山でもあります。
12日の夕方、マイカーで出発し、途中諏訪SAで仮眠をとったあと松本ICで降り、目的地である
「沢渡駐車場」まで向かいます。
マイカーではここまでしか行くことができないのでこの先はバスかタクシーということになります。
駐車場は5時からだと思っていましたのでそれに合わせて到着したもののほぼ満車状態。
あとから聞いたのですが実は駐車場は24時間ずっとあいているそうです。
ただし、日をまたぐ度に追加料金が加算されてしまうので夜の12時過ぎに来るのがベターだとか。
なんとか空きを見つけて停めるものの、残念ながら雨が降り出してきています。
天気予報を確認すると低気圧の影響で今日一日ぐずついているとのこと。
ただし、ここで帰るわけにもいかず午前7時ごろ、「沢渡」から「上高地」までのシャトルバスに乗り込みます。
乗車すること約30分ほどで上高地バスターミナルに到着。
ここでは登山客のほか、観光目的の人たちでごった返していました。
登山届を提出したあと、まずは「河童橋」へ。
「河童橋」からは通常、実際見えるはずの穂高連邦の絶景が見えず、先行きが不安になってきます。
これは明神。
途中は至って平坦なコースです。
立ち枯れの木を横目に見ながら。
徳沢に。
「河童橋」から「明神」、「徳沢」を経由して「横尾」までたどり着きますが、ここまで来るともう一般の観光客は皆無です。
「横尾」には「横尾大橋」が心してここを通れと言わんばかりにでんと構えています。
付近の案内図です。
この先、遭難者も多いみたいです。
横尾大橋の入り口の看板には”14時を超えて「涸沢」を目指すのは遠慮ください”と張り紙が書かれていました。
時計を見ると14時30分。
これは少し急がなければなるまい。
「横尾大橋」を渡るもしばらくは登山道とは思えないほどの平たんな道が続きます。
このまま頂上まで続いていけばいいのに、と思っているといきなりの急登が。
途中、万年雪も。
ストックを外して登らなければならないほどではないのですが、横尾から約3時間ほどで
穂高のベースキャンプといわれる「涸沢」までたどり着きました。
ここには2つの小屋と、その間にキャンプ場が広がっています。
小屋の1つである涸沢小屋に泊まることとします。
小屋からは「前穂高岳」がお出迎えです。
お盆の時期にも関わらず、1つの布団に1人寝られるということなので、まずは胸をなでおろします。
山小屋では混んでいると1つの布団に2人ということもあるからです。
まずは夕食をとりますが、疲れた体ということもあって、最高においしかったです。
小屋での消灯は9時ですが、8時ごろには皆さん、布団の中に入っていました。
2段ベッドの2階ということもあって、夜は暑くて寝苦しかったです。
外の様子を見るとテントの明かりがきれいに見られましたが、空に星が全く見られませんでしたので嫌な予感がします。
翌朝の朝食は早く、5時と5時30の2回に分けられます。
ですが、翌朝14日、目が覚めると外はザーザー降りの雨。しかもガスがかかっており視界もよくありません。
小屋の中では、残念極まりないといった重苦しいムードが漂っています。
朝食の間、警察関係の人から注意喚起をうけます。
「まず一つ、ここから先は鎖場や階段が多くなるのでストックは邪魔になるのでしまってください。
次に、落石、滑落の危険があるためヘルメットはなるべく着用してください。
最後に、山は修行ではないので今日のような悪天候の場合はこのまま下るという決断も必要です。
山は逃げることはありませんから。」と暗に強行するなと言われているようでした。
うーん、山は逃げなくとも人間の年と耐力は少しずつではあるが逃げていくからなあ、と思いましたが
とりあえず神妙に話を聞いた後、決断はもう少し様子をみてからとしました。
8時過ぎになると、雨は上がってガスも引いてきたため、一度は下山を考えましたが、ここは強行することにしました。
この通り、少し日差しも出てきました。
ただし、天気予報では午後にまた天気が悪くなるということなもあっておそらく、このときアタック派と下山派は半半だったことだと思います。
まずは涸沢小屋のすぐ脇にある奥穂高岳に向かう階段状の登山道を進み、穂高岳山荘までのザイデングラードを通っていきます。
この間、浮石や落石も多く細心の注意を要します。
手と足の3点支持で登らなくてはならず、確かにストックは邪魔になります。
登ること2時間でようやく穂高山荘までたどり着きますが、またしても天気が下り坂になってきています。
穂高山荘からの登りはさらに危険が伴い、最初から垂直な2段梯子や、絶壁のトラバースなどが待ち受けていました。
慎重に行けばどうということはないのですが、高所恐怖症の私にとっては終始、びくびくものでした。
しかも小雨で鎖や梯子が濡れており、ときおりガスもかかって視界をさまたげます。
安全と進む方向を示す岩に書かれた○マークをいち早く見つけ、迷ったら引き返すことも必要でした。
間違っても×のついた岩には乗るまいと注意しながら。
穂高山荘から登ること約1時間でようやく念願の頂上が。
しかしながら、あたりはガスで覆われ、期待していた眺望は皆無でした。
もし晴れていたらこちらに「ジャンダルム」がみえていたはずだと案内盤をみながら目を凝らしてみるも、
残念ながらどこをみても白一色の世界。
でも、もし晴れていたら下がはっきり見えるので怖くて頂上に立てなかったかもしれません。
頂上には10人ほどいましたが、記念に写真を撮り合います。
まあ、眺望は恵まれなくとも少なくとも頂上に立った記念は残したいですからね。
頂上には小さな神社が祭られていました。
全く晴れそうにないので早々に下山することにしますが、帰りの方が慎重を要します。
遭難や事故は登るときよりも下山のときのほうが多いのもうなずけます。
途中遭遇した高山植物に癒されます。
ようやく「穂高山荘」まで戻ると、雨がさらに激しくなり山荘の中に避難することにしました。
中ではストーブの前で服を乾かしている方が大勢集まっていました。
余裕があればここから30分ほどの「涸沢岳」の頂上も考えていましたが、この天気ではパスすることに。
「穂高山荘」でしばしビールを飲みながら休んだ後は、来た道であるザイデングラードを「涸沢小屋」まで戻ることしました。
この続きは”その2”にて紹介させていただきたいと思いますが、最後に次の日の涸沢小屋からの素晴らしい眺望をアップさせていただきたいと思います。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26961335
やはり穂高は登山者のメッカと呼ばれることもあって、また漫画「岳」の舞台でもあるので
一度は足を向けてみたいとかねてから思っていました。
実際、まとまった休みがとれるのはこの時しかないかもしれません。
「穂高岳」は初めてなので、「涸沢」に連泊して「奥穂高岳」を目指すこととしました。
「北穂高」や「前穂高」、「西穂高」については上級者向けということなので今回はパスすることにします。
といっても「奥穂高岳」は標高3190mもあり、日本で富士山、北岳についで3番目に高い山でもあります。
12日の夕方、マイカーで出発し、途中諏訪SAで仮眠をとったあと松本ICで降り、目的地である
「沢渡駐車場」まで向かいます。
マイカーではここまでしか行くことができないのでこの先はバスかタクシーということになります。
駐車場は5時からだと思っていましたのでそれに合わせて到着したもののほぼ満車状態。
あとから聞いたのですが実は駐車場は24時間ずっとあいているそうです。
ただし、日をまたぐ度に追加料金が加算されてしまうので夜の12時過ぎに来るのがベターだとか。
なんとか空きを見つけて停めるものの、残念ながら雨が降り出してきています。
天気予報を確認すると低気圧の影響で今日一日ぐずついているとのこと。
ただし、ここで帰るわけにもいかず午前7時ごろ、「沢渡」から「上高地」までのシャトルバスに乗り込みます。
乗車すること約30分ほどで上高地バスターミナルに到着。
ここでは登山客のほか、観光目的の人たちでごった返していました。
登山届を提出したあと、まずは「河童橋」へ。
「河童橋」からは通常、実際見えるはずの穂高連邦の絶景が見えず、先行きが不安になってきます。
これは明神。
途中は至って平坦なコースです。
立ち枯れの木を横目に見ながら。
徳沢に。
「河童橋」から「明神」、「徳沢」を経由して「横尾」までたどり着きますが、ここまで来るともう一般の観光客は皆無です。
「横尾」には「横尾大橋」が心してここを通れと言わんばかりにでんと構えています。
付近の案内図です。
この先、遭難者も多いみたいです。
横尾大橋の入り口の看板には”14時を超えて「涸沢」を目指すのは遠慮ください”と張り紙が書かれていました。
時計を見ると14時30分。
これは少し急がなければなるまい。
「横尾大橋」を渡るもしばらくは登山道とは思えないほどの平たんな道が続きます。
このまま頂上まで続いていけばいいのに、と思っているといきなりの急登が。
途中、万年雪も。
ストックを外して登らなければならないほどではないのですが、横尾から約3時間ほどで
穂高のベースキャンプといわれる「涸沢」までたどり着きました。
ここには2つの小屋と、その間にキャンプ場が広がっています。
小屋の1つである涸沢小屋に泊まることとします。
小屋からは「前穂高岳」がお出迎えです。
お盆の時期にも関わらず、1つの布団に1人寝られるということなので、まずは胸をなでおろします。
山小屋では混んでいると1つの布団に2人ということもあるからです。
まずは夕食をとりますが、疲れた体ということもあって、最高においしかったです。
小屋での消灯は9時ですが、8時ごろには皆さん、布団の中に入っていました。
2段ベッドの2階ということもあって、夜は暑くて寝苦しかったです。
外の様子を見るとテントの明かりがきれいに見られましたが、空に星が全く見られませんでしたので嫌な予感がします。
翌朝の朝食は早く、5時と5時30の2回に分けられます。
ですが、翌朝14日、目が覚めると外はザーザー降りの雨。しかもガスがかかっており視界もよくありません。
小屋の中では、残念極まりないといった重苦しいムードが漂っています。
朝食の間、警察関係の人から注意喚起をうけます。
「まず一つ、ここから先は鎖場や階段が多くなるのでストックは邪魔になるのでしまってください。
次に、落石、滑落の危険があるためヘルメットはなるべく着用してください。
最後に、山は修行ではないので今日のような悪天候の場合はこのまま下るという決断も必要です。
山は逃げることはありませんから。」と暗に強行するなと言われているようでした。
うーん、山は逃げなくとも人間の年と耐力は少しずつではあるが逃げていくからなあ、と思いましたが
とりあえず神妙に話を聞いた後、決断はもう少し様子をみてからとしました。
8時過ぎになると、雨は上がってガスも引いてきたため、一度は下山を考えましたが、ここは強行することにしました。
この通り、少し日差しも出てきました。
ただし、天気予報では午後にまた天気が悪くなるということなもあっておそらく、このときアタック派と下山派は半半だったことだと思います。
まずは涸沢小屋のすぐ脇にある奥穂高岳に向かう階段状の登山道を進み、穂高岳山荘までのザイデングラードを通っていきます。
この間、浮石や落石も多く細心の注意を要します。
手と足の3点支持で登らなくてはならず、確かにストックは邪魔になります。
登ること2時間でようやく穂高山荘までたどり着きますが、またしても天気が下り坂になってきています。
穂高山荘からの登りはさらに危険が伴い、最初から垂直な2段梯子や、絶壁のトラバースなどが待ち受けていました。
慎重に行けばどうということはないのですが、高所恐怖症の私にとっては終始、びくびくものでした。
しかも小雨で鎖や梯子が濡れており、ときおりガスもかかって視界をさまたげます。
安全と進む方向を示す岩に書かれた○マークをいち早く見つけ、迷ったら引き返すことも必要でした。
間違っても×のついた岩には乗るまいと注意しながら。
穂高山荘から登ること約1時間でようやく念願の頂上が。
しかしながら、あたりはガスで覆われ、期待していた眺望は皆無でした。
もし晴れていたらこちらに「ジャンダルム」がみえていたはずだと案内盤をみながら目を凝らしてみるも、
残念ながらどこをみても白一色の世界。
でも、もし晴れていたら下がはっきり見えるので怖くて頂上に立てなかったかもしれません。
頂上には10人ほどいましたが、記念に写真を撮り合います。
まあ、眺望は恵まれなくとも少なくとも頂上に立った記念は残したいですからね。
頂上には小さな神社が祭られていました。
全く晴れそうにないので早々に下山することにしますが、帰りの方が慎重を要します。
遭難や事故は登るときよりも下山のときのほうが多いのもうなずけます。
途中遭遇した高山植物に癒されます。
ようやく「穂高山荘」まで戻ると、雨がさらに激しくなり山荘の中に避難することにしました。
中ではストーブの前で服を乾かしている方が大勢集まっていました。
余裕があればここから30分ほどの「涸沢岳」の頂上も考えていましたが、この天気ではパスすることに。
「穂高山荘」でしばしビールを飲みながら休んだ後は、来た道であるザイデングラードを「涸沢小屋」まで戻ることしました。
この続きは”その2”にて紹介させていただきたいと思いますが、最後に次の日の涸沢小屋からの素晴らしい眺望をアップさせていただきたいと思います。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm26961335
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