求菩提山
11月1日から3日にかけて北九州に家族旅行に行きました。
そのとき1日、自由時間をもらって「求菩提山」に行った時の写真をまずはブログにおさめることにします。
その他の九州旅行の件は、別のブログで述べさせていただきます。
東京駅から北九州の小倉駅まで新幹線を使って約4時間。
そして小倉から1時間ほど電車を乗り継いで宇島まで行き、そこからバスで30分ほど行った先の「求菩提ふれあい広場」から歩くことにします。
ここでは本日、盛大に護摩を炊く行事がある予定なので帰りにまた立ち寄りたいと思います。
ちょうど後ろに見える山が求菩提山です。
求菩提山は標高782mとそれほど高くはないのですが、古くから修験の山として知られ、かつては多くの山伏たちが修行のため山に滞在していたそうです。
そのせいか山全体が一見、異様な雰囲気を醸し出しており、あちらこちらにそれをうかがい知ることのできる遺跡等が残っていました。
特に「五窟」と呼ばれる岩のえぐれた、山伏のかつての修行の場を巡るのも面白そうである。
まずは車道をひたすら登っていくと、ようやく求菩提山の標識が現れます。
最近の時代劇に出ていた「黒田官兵衛」ゆかりの山でもあるそうです。
黒田官兵衛は信長、秀吉、家康の側近として重宝され続け、まわりから最も恐れられていた名軍師として知られています。
その黒田官兵衛が秀吉の名を受け、「中津城」の築城に着手しますが、この際に地鎮祭を執行したのが、求菩提山の僧「玄海法印」ということです。
その玄海法印の墓は現在も求菩提山に残っており、それを見に行くのも興味深いものがありました。
まずはこの「構の石門」をくぐるところから始まります。
ところどころに多くのお地蔵様が出迎えてくれます。
結界石と獅子の口がありますが、昔はここで登る前に手を清めていたとか。
これは「岩屋坊」といって、昔の山伏の実際に住んでいた家らしいです。
中宮を経ると階段が続きますが、極めつけはこの「鬼の階段」。
名前からしてきつそうですね。
実際850段ほどの急な階段を頂上までノンストップで登っていくことになります。
頂上には上宮が立っていますが眺望はいまひとつといった感じです。
下山は五窟巡りの周回ルートをたどります。
「胎蔵界護摩場」を過ぎるとまずはこの「大日窟」。
そこにあった如来像は下にある資料館で保存されているようですのであとから見にいくことにします。
そして「普賢窟」、「多聞窟」、「吉祥窟」ときて最後は「阿弥陀窟」を回ります。
まさにパワースポットめぐりをしているようです。
修行で用いたといわれるこの「みそぎ場」を経た後「構の石門」にもどったあとは来た道を戻ることとなります。
帰りに「玄海法印」の墓をまわりますが、ただ石が置かれているだけで意外と拍子抜けするようなものでした。
そして資料館に立ち寄り、先ほどの大日窟に置かれていたという大日如来像を拝見させていただきました。
山伏の7つ道具だそうです
これは黒田官兵衛。
帰りに護摩をたいている会場に立ち寄り祈願をしてから帰ることとします。
求菩提山をバックに写真を撮ってみます。
また、ついでに電車を乗り継いで黒田官兵衛が建てたといわれる「中津城」を見学することにしました。
「中津城」は中津駅から歩いて30分ほどですが、この町全体が城下町風になっており、歩いていてあきることはありません。
これが中津城です。
近くの保育園もこの通り城下町を意識した作りとなっています。
小学校の門もこの通り。
さて、今日のところはこれまでにして明日は観光地である九州の玄関口である「門司港」を巡ることとします。
どんな街かは次のブログで報告させていただきます。
そのとき1日、自由時間をもらって「求菩提山」に行った時の写真をまずはブログにおさめることにします。
その他の九州旅行の件は、別のブログで述べさせていただきます。
東京駅から北九州の小倉駅まで新幹線を使って約4時間。
そして小倉から1時間ほど電車を乗り継いで宇島まで行き、そこからバスで30分ほど行った先の「求菩提ふれあい広場」から歩くことにします。
ここでは本日、盛大に護摩を炊く行事がある予定なので帰りにまた立ち寄りたいと思います。
ちょうど後ろに見える山が求菩提山です。
求菩提山は標高782mとそれほど高くはないのですが、古くから修験の山として知られ、かつては多くの山伏たちが修行のため山に滞在していたそうです。
そのせいか山全体が一見、異様な雰囲気を醸し出しており、あちらこちらにそれをうかがい知ることのできる遺跡等が残っていました。
特に「五窟」と呼ばれる岩のえぐれた、山伏のかつての修行の場を巡るのも面白そうである。
まずは車道をひたすら登っていくと、ようやく求菩提山の標識が現れます。
最近の時代劇に出ていた「黒田官兵衛」ゆかりの山でもあるそうです。
黒田官兵衛は信長、秀吉、家康の側近として重宝され続け、まわりから最も恐れられていた名軍師として知られています。
その黒田官兵衛が秀吉の名を受け、「中津城」の築城に着手しますが、この際に地鎮祭を執行したのが、求菩提山の僧「玄海法印」ということです。
その玄海法印の墓は現在も求菩提山に残っており、それを見に行くのも興味深いものがありました。
まずはこの「構の石門」をくぐるところから始まります。
ところどころに多くのお地蔵様が出迎えてくれます。
結界石と獅子の口がありますが、昔はここで登る前に手を清めていたとか。
これは「岩屋坊」といって、昔の山伏の実際に住んでいた家らしいです。
中宮を経ると階段が続きますが、極めつけはこの「鬼の階段」。
名前からしてきつそうですね。
実際850段ほどの急な階段を頂上までノンストップで登っていくことになります。
頂上には上宮が立っていますが眺望はいまひとつといった感じです。
下山は五窟巡りの周回ルートをたどります。
「胎蔵界護摩場」を過ぎるとまずはこの「大日窟」。
そこにあった如来像は下にある資料館で保存されているようですのであとから見にいくことにします。
そして「普賢窟」、「多聞窟」、「吉祥窟」ときて最後は「阿弥陀窟」を回ります。
まさにパワースポットめぐりをしているようです。
修行で用いたといわれるこの「みそぎ場」を経た後「構の石門」にもどったあとは来た道を戻ることとなります。
帰りに「玄海法印」の墓をまわりますが、ただ石が置かれているだけで意外と拍子抜けするようなものでした。
そして資料館に立ち寄り、先ほどの大日窟に置かれていたという大日如来像を拝見させていただきました。
山伏の7つ道具だそうです
これは黒田官兵衛。
帰りに護摩をたいている会場に立ち寄り祈願をしてから帰ることとします。
求菩提山をバックに写真を撮ってみます。
また、ついでに電車を乗り継いで黒田官兵衛が建てたといわれる「中津城」を見学することにしました。
「中津城」は中津駅から歩いて30分ほどですが、この町全体が城下町風になっており、歩いていてあきることはありません。
これが中津城です。
近くの保育園もこの通り城下町を意識した作りとなっています。
小学校の門もこの通り。
さて、今日のところはこれまでにして明日は観光地である九州の玄関口である「門司港」を巡ることとします。
どんな街かは次のブログで報告させていただきます。
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