越前岳
6月15日、富士山のそばにある山である「越前岳」に行きました。
「越前岳」は富士山より早くに活動を終了した「愛鷹火山群」の一峰であり富士山の眺めがすばらしい山ということです。
まあ、富士山のすぐ隣の山ですから眺望は文句ないでしょう。
朝6時にマイカーで家を出るも、東名高速の事故による通行止めに遭い、ずっと手前である「厚木IC」で下されそこからひたすら下道を走っていき、目的地の十里木高原駐車場に着いたのは10時半頃。
本来なら「裾野IC」で降りるところでしたが、思わぬアクシデントで予定よりも2時間遅れの到着となりました。
まあ、長い人生そういうときもあるでしょう。
そしてそこから見えるはずの富士山の絶景が雲がかかっていて山頂を拝むことができず、またしても不運に見舞われます。
しかしながら、そこから見える広々とした高原の様子に癒されました。
最初は電波塔めがけて階段状の道を登っていきます。
途中の展望台に着いてもこの通り富士山は隠れています。
これがこれから登らんとする越前岳
最初は高原のような視界のあけている登山道もだんだん登るにつれて木の陰となり勾配が急になり険しくなってきます。
そして登り始めてから約2時間で頂上にたどり着きました。
頂上では団体客を含めて約20人くらいいましたが、ここでもやはり富士山は見えず。
そのかわり南アルプス方面の山並みを拝むことができました。
頂上で休んだ後は来た道をそのまま戻ることにしました。
下山の途中、私と同じ金沢出身の「国府犀東」という人物の石碑が立っていました。
昭和の初期に宮内省御用掛の漢詩人ということだそうですが、越前岳に登った時の漢詩が石碑に刻まれていました。
残念ながら漢文は苦手なため、内容はさっぱりわかりません。
そしてそのとき登った越前岳の頂上からの眺めが、当時の五十銭紙幣の図案にもなったということです。
確かに雲がかかってなければ絶景だったことでしょう。
この通り富士山の裾野を含めてすべてを見渡せますから
帰りの高速はもう通行止めが解除され、最寄の「裾野IC」で乗ることができたのがせめてもの幸い。
今度は雲がかかっていないときに是非ともまた来たいですね。
「越前岳」は富士山より早くに活動を終了した「愛鷹火山群」の一峰であり富士山の眺めがすばらしい山ということです。
まあ、富士山のすぐ隣の山ですから眺望は文句ないでしょう。
朝6時にマイカーで家を出るも、東名高速の事故による通行止めに遭い、ずっと手前である「厚木IC」で下されそこからひたすら下道を走っていき、目的地の十里木高原駐車場に着いたのは10時半頃。
本来なら「裾野IC」で降りるところでしたが、思わぬアクシデントで予定よりも2時間遅れの到着となりました。
まあ、長い人生そういうときもあるでしょう。
そしてそこから見えるはずの富士山の絶景が雲がかかっていて山頂を拝むことができず、またしても不運に見舞われます。
しかしながら、そこから見える広々とした高原の様子に癒されました。
最初は電波塔めがけて階段状の道を登っていきます。
途中の展望台に着いてもこの通り富士山は隠れています。
これがこれから登らんとする越前岳
最初は高原のような視界のあけている登山道もだんだん登るにつれて木の陰となり勾配が急になり険しくなってきます。
そして登り始めてから約2時間で頂上にたどり着きました。
頂上では団体客を含めて約20人くらいいましたが、ここでもやはり富士山は見えず。
そのかわり南アルプス方面の山並みを拝むことができました。
頂上で休んだ後は来た道をそのまま戻ることにしました。
下山の途中、私と同じ金沢出身の「国府犀東」という人物の石碑が立っていました。
昭和の初期に宮内省御用掛の漢詩人ということだそうですが、越前岳に登った時の漢詩が石碑に刻まれていました。
残念ながら漢文は苦手なため、内容はさっぱりわかりません。
そしてそのとき登った越前岳の頂上からの眺めが、当時の五十銭紙幣の図案にもなったということです。
確かに雲がかかってなければ絶景だったことでしょう。
この通り富士山の裾野を含めてすべてを見渡せますから
帰りの高速はもう通行止めが解除され、最寄の「裾野IC」で乗ることができたのがせめてもの幸い。
今度は雲がかかっていないときに是非ともまた来たいですね。
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